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特別企画 兼六会グループ 企画問屋・丸六株式会社の歴史と哲学

石川県の兼六会グループ 企画問屋 丸六株式会社の歴史を語る上で、篠原勉会長を欠かす事が出来ない。丸六株式会社会長、NPO日本きもの文化振興会理事長、公益財団法人 モラロジ―研究所維持員、一般社団法人倫理法人会会員、天然記念物・妙連を守る会会長、財団法人日本おもしろ文化博物館代表理事、アンテナSHOP きものレンタル「金澤着楽々」代表など、多彩な顔を持つ篠原会長に、人生、会社経営の苦労、そして経営哲学を伺いました!

篠原勉会長(還暦時)

篠原勉会長(還暦時)

◆幼少期
篠原会長は1944年(昭和19年3月26日)終戦一年前生まれ。石川県鶴来町(白山市)農家の七男坊(13人兄弟姉妹13番目)。父58歳・母46歳の子。若い時は実家が貧しく小学校5年の時に母親が中気(脳溢血)で倒れるも、貧しく入院ができず悔しい思いをした。また進学校の泉丘高校に入学するも高校2年の時に、長兄が事故死、また母親が死去するなど金沢大学への進学を断念せざるを得なかった。72歳の父と病気の兄嫁、幼少の姪のために農業をしながら、通信家電メーカー(現富士通ゼネラル)北陸支店に入社し(昭和37年)、モーレツ社員と農家の2足のわらじをはくも、激務がたたって倒れるなど苦労の多い青春期を体験。

◆転機そしてバブルへ
 転機は実姉の丸六商店(綿布・ウール繊維問屋 昭和21年駅前創業)の手伝いを始めたこと。商売の魅力と貧乏脱却の願望が高まった。
・24歳の時に北陸で初めて小売店合同消費者セール(電機業界の手法)を実施。市観光会館、ホテル、料亭などで次々と実施。しかし当時は「問屋が小売をしている」と怨磋の風評が高まり、異端児と言われるも数年後には全ての同業問屋で行われるようになった。
・33歳の時、先代社長(姉)急逝。昭和53年、社長に就任する。就任した際には大手問屋から「新社長の貴方と継続取り引きするには保証金を積んで」と言われて、帰路列車の中で悔しくて泣いた。この経験が「今に見ていろ」という気持ちにさせてくれた。
・土地バブル期突入 融資物件高騰
 「石橋を叩いても渡らぬ」銀行まで「自己資金なしで借りて!」という熱狂の時代。不動産賃貸ビル経営会社㈱マルックスを設立(平成2年・44歳)。兼六ビル・第二兼六ビル・問屋町ビル二棟・金沢7棟、他多数の物件が高騰。時価総額 不動産資産46億円、丸六の売上げも4倍となり、絶頂を迎えたかに見えた。しかし事態は暗転する。「好事魔多し」とはこのことであろう。バブル崩壊を迎え、平成の大不況「失われた25年」となった。大手問屋をはじめ、数多くの会社が倒産していった。そして不動産貸ビルのテナント撤退、担保割れ、追証発生、貸し倒れ発生などの連鎖を迎え、篠原会長も眠れない日々を迎えることとなる。
・子会社マルックス破綻、会社保証の丸六㈱も同時に民事再生へ(平成15年)
 この時は全ての不動産を売却し弁済。時価総額46億円の資産も一気に吹っ飛んだ。登り坂、下り坂、そして「まさかの坂」を体験。精神的に追い詰められ自殺寸前の所までいった。二俣ダム堰堤までさまよい、無意識のうちに身を投げ出しそうになったが、カラスの声で我に還った。帰り道に「人は死ぬために生きている」と妙に納得し、もう一度やり直すことを決意。そして60歳還暦を迎えたときに、商売、そして人生とは自問自答であり、自らの運命の責を負って感謝する、そして神の試練であると気付く。

◆再生・再建
民事再生時に全取引先に即時連絡をする。弁護士に「商品引き揚げに多くの人が来るので心の準備もしっかりと」と言われたが、商品引き揚げはなかった。却って「差し入れ」や「励まし」の言葉を多数もらい、とても嬉しかった。そしてヤマノグループとの業務提携で大手小売店に企画提案を実施する。ヤマノさんは、大恩人である。
東京の企業再生の先生から「貴方なら再生できる!」と激励と指導を受ける。経営方針の転換をはかり、呉服問屋から企画会社、コンサルティング会社へと転換した。“モノ”だけに留まらず、“コト”までを提供する。無借金経営、現金決済、危機管理、与信管理の徹底を図るようになる。これらもヤマノグループ山野会長の勉強会で真剣に身に付けた。
・平成20年に民事再生終結の裁定を得る。平成21年にはある長野市の呉服問屋が破産、商品を一括買収し、同社員を雇用。「信越営業所」を開設する。
・「きものショー」をNPO法人日本きもの文化振興会が主催する。和文化の啓蒙で日本を再生する事が、悲願であった。そして平成24年より中学の家庭科に「和装教育」が復活。延べ13,000人以上のモデルさんに「先人たちの情緒、情操、礼儀、礼節、マナーに学ぼう」と提案。多くのマスコミの支持を集め、金沢、富山、福井、長野、名古屋、新潟、福岡へと広がる。

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・「金沢市の卸売業経営革新支援事業所に3年連続採択」御子息の篠原淳社長が県の観光特使となり、金沢への誘客ツアーを多数企画。京セラ㈱より優秀取引先として表彰をうけるなど、呉服業界だけに留まらない活躍を果たしている。
・平成25年8月 再生債務弁済・完全終結を果たす。「感謝と御礼の会」には、市長ほか来賓100名以上が駆け付け、共に喜んでくれた。

◆経営哲学、そして「振り出しに戻る勇気」
 『経世済民』(経済)とは、世の中を治め人民(自分を含む)を救うということ。経営で苦しむと言うことは、本末転倒。どこかに、無理や矛盾が必ずある。元をただすことが必要(衿を正す、誤りを正す、方針を質す)。そして「経営者が社業に徹しているか?」をもう一度問いかける必要がある(名誉職や、「業界の為」という文言を隠れ蓑にしていないか?)。
「振り出しに戻る勇気」当時多くの中小企業の経営者が闇に消えた。夜逃げ、自殺は罪深い。さらに罪を作ることになる。真の相談者をもつことが大切。

◆失ったもの、そして得たもの
 篠原会長は語る。「バブル崩壊という挫折で私はたくさんのものを失いました。全ての資産(貸しビル、社屋、自宅、預金、社債、債権、会員権など)と、信用、メンツ、社員、取引先、銀行取引、給与などです。しかし、バブル崩壊という挫折の後にたくさんのものを得ることができました。それは
①真の社員、友人、取引先、現金取引、危機管理経営、無借金経営
②商売で一喜一憂しないという心構え(好事魔多し!)
③貴重な体験、人生訓(自らの運命の責めを負って感謝する)
④「苦難は幸福の門」(苦難は人を成長させる。盛時に反省心は起こらず 自己反省)
⑤社員との絆(共に地獄を見た社員は宝。されど迎合せず)
中小企業経営者の方はどうしても厳しい現実に直面することがあると思います。365日24時間、経営を真剣に考えないと企業そして家族の明日はありません。先ず足元の自社と家計の診断を盤石にし、次に業界・地域・団体の事を考える必要があります。苦境になったら“苦難は幸福の門”の真意を悟るべきです。私の座右の銘は『自らの運命の責めを負って感謝す』です。私の失敗談や経験をお話しすることで、困っておられる方が救われれば、これに勝る喜びはありません。今後共、皆と共にリテールサポート(小売店支援)に全力で労を惜しむな、と社内では伝えています」。

◆インタビューを終えて
 ともすれば社歴の中で成功例は多く挙げられるが、敢えて挫折の顛末を述べる篠原会長に、その人生観を垣間見ることができた。

丸六株式会社:http://www.maru-x.co.jp/

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